若松 力さん 腎臓移植


 50m自由形、残り10mを切っても左隣のアメリカの選手が先行しているのがわかる。焦る。5種目中、既に4種目は公言通り金メダルをとった。最後の種目で完全制覇の夢は断たれるのか。何のためにこの1年間厳しいトレーニングを積んできたんだ。最後まであきらめるな。自分を鼓舞し、残り10mはノーブレッシングと決めた。顔はプールの底に向け、隣は見ず、ひたすらキックを打ち、手の回転を上げることだけに集中した。息が苦しくなってきた。ゴールが目前に迫ってきた。3m、2m、1m、ゴール。大きく息を吸い込み、振り返り、電光掲示板を見る。泳いだ5コースの「5」の左隣に「1」の文字。やった。逆転で勝った。次に記録を見る。31秒92、世界新記録だ。待てよ、2位の記録はどうか。32秒57、彼もこれまでの世界新記録を更新するタイムだ。危ない、僅かコンマ65秒差だった。
 力が抜け、コースロープにつかまりながら、しばしぼーっとする。この1年間の練習とこの2日間のレースのシーンが走馬灯のように頭を巡った。遂にやった。プールから上がるとき、2位のアメリカの選手と目が合った。互いに微笑み、歩み寄り、固い握手を交わした。互いにつらい病を臓器移植により救われ、この場で戦える喜びを分かち合った瞬間であった。これで私の2017年6月スペイン・マラガでの大会は終わった。
 12年前、妻の恵子は原因不明の不治の病、パーキンソン病を宣告された。彼女にとっては、いや、誰でもそうだと思うが、思っても見ない、奈落の底に突き落とされるような宣告だったろう。その7年後、今度は私の先天性の難病、多発性嚢胞腎の進行により、人工透析が宣告された。すると恵子は私の腎臓をあげると言ったのだった。思わぬ申し出に私は戸惑い、どうしたものかと悩んだ。結局、申し出を受け入れ、生体腎移植により、だるさや足の痙攣、吐き気に悩まされた日々が嘘のようにすべての症状が消滅し、新たな人生を歩みだすことが出来た。術後1年から水泳を再開し、2017年の世界移植者スポーツ大会で複数の金メダルをとることにより、世の中の人に振り向いてもらい、この素晴らしい移植医療の啓発をしようと決めた。
 先日、墨田区からスペイン大会で功績があったと、墨田区スポーツ栄誉賞を授与された。授賞式の隣には、一緒にスペインに行き、生体ドナーのレース、50m自由形に出場した妻の姿があった。区長や新聞記者から妻にもたくさんの質問が飛び、晴れやかに答える姿は頼もしくさえあった。
 自分が難病を患っているにもかかわらず、私に腎臓を提供してくれた恵子、君のお陰で素晴らしい経験が出来た。そして、これからもできると思う。本当にありがとう。




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