谷川 基務さん 腎臓移植


ちょうど13年前の今日、父から生体腎移植を受けました。

小学生のころ腎臓が悪いことが分かり、母の多大な協力のもと維持療法を続けておりました。
大学生になり腎機能が急激に悪くなり、その中で父が「腎臓をあげる」と手を挙げてくれました。
その後大学も無事卒業し、就職し、結婚もでき、子供もでき、家族一緒に旅行に行ったり、いわゆる「普通の生活」が送れています。

移植した当時は、小さいころからの病気だからと自然の流れで移植したものと思っていました。
しかし子供が生まれてから、親の気持ちとして振り返ることが多くなり、改めてドナーとして手を挙げてくれたことの偉大さに気づきました。
もしあのときから、透析導入、ドナーを待つ生活をしていたら、いまの「普通の生活」ではなく、別の生活をしていたことでしょう。
就職できなかったかもしれない、卒業できてなかったかもしれない、いや、それどころか動けなくなっていたかもしれない、もしかしたら最悪・・・
子供のことを思うと、立派でなくていいからどれだけ普通に生きていってくれるか、それを考えます。
どんな気持ちであのとき手を挙げてくれたのか・・・
ドナーである父からは親としての愛とともに腎臓をいただいたと思っています。
「普通の生活」が送ることができているのは父のおかげです。

普段、目の前にしてなかなか言うことがないから・・・
ありがとう。





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